悠久の歴史の長さと、茫漠たる宇宙の広さの中で、今この瞬間、この場所で生かされていることの奇跡の有り難さ

鶴林寺本堂内でプラネタリウムの星を映写するイベントを見学させていただきました。天文科学館館長様、鶴林寺住職様、日岡神社権禰宜様、考古博物館課長様がそれぞれの視点から宇宙観、歴史観を語るパネルディスカッションがとても興味深かったです。悠久の歴史の長さという縦軸と、茫漠たる宇宙の広さという横軸の中で、今この瞬間、この場所で生かされていることの奇跡の有り難さに、静かに合掌いたしました。

鈍刀を磨く

高校で今年最後の授業をさせていただきました。高校3年生主体のクラスなので、まもなく人生の次のステージに進む学生さんたちです。以下の坂村真民の詩を音読していただきました。
「鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが、
何もそんなことばに
耳を借す必要はない。
せっせと磨くのだ。
刀は光らないかもしれないが、
磨く本人が変わってくる。
つまり刀が
すまぬすまぬと言いながら、
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ。」

もとを忘れず

今朝の経営者モーニングセミナーで、泉憲治氏が、倫理法人会会員のNさんの御講話の内容をご紹介くださいました。
西郷隆盛に似た堂々たる風貌で、とても暖かいお人柄のNさんは、極道の父と娼婦の母との間に生まれました。
母親は、売春宿を経営されたこともあり、Nさんは、家庭の団らんとは無縁の、孤独な幼少期を送られました。
Nさんが小学生のとき突然、実家が家宅捜査を受けました。
それを機にNさんは児童養護施設に入所しました。
その後Nさんは母親と同居するも、母親がNさんの給料を会社から前借しようとしたことに激高し、絶縁されました。
それから何年も経過した後、遠方の役所から連絡があり、危篤状態の母親のもとに駆けました。
Nさんは、母の遺品を整理するために、ボロボロの住居に入ると、神棚の上に、幼いころのNさんと両親が三人で撮影した写真が飾ってありました。
おそらく母がその写真に手を合わせて暮らしておられたと思われます。
そこでNさんは、万人幸福の栞の以下の箇所をおもいだされました。
「最も大切な、わが命の根元は、両親である。この事に思い至れば、親を尊敬し、大切にし、日夜孝養をつくすのは、親がえらいからではない、強いからではない。世の中にただ1人の私の親であるからである。私の命の根元であり、むしろ私自身の命である親だからである。
ほんとうに、父を敬し、母を愛する、純情の子でなければ、世に残るような大業をなし遂げる事はできない。いや世の常のことでも、親を大切にせぬような子は、何1つ満足にはできない。」

満面の笑顔で語りかけると、笑顔で返答してくださる確率が高くなるという当たり前の法則

今夜も駅前、挨拶運動と活動報告書配布で一日の活動を終えました。満面の笑顔で語りかけると、笑顔で返答してくださる確率が高くなるという当たり前の法則を確認しながら21時まで駅立ちさせていただきました。

本を忘れず、末を乱さず(反始慎終)

今朝の経営者モーニングセミナーで、泉憲治氏が、倫理法人会会員のNさんの御講話の内容をご紹介くださいました。
西郷隆盛に似た堂々たる風貌で、とても暖かいお人柄のNさんは、極道の父と娼婦の母との間に生まれました。
母親は、売春宿を経営されたこともあり、Nさんは、家庭の団らんとは無縁の、孤独な幼少期を送られました。
Nさんが小学生のとき突然、実家が家宅捜査を受けました。
それを機にNさんは児童養護施設に入所しました。
その後Nさんは母親と同居するも、母親がNさんの給料を会社から前借しようとしたことに激高し、絶縁されました。
それから何年も経過した後、遠方の役所から連絡があり、危篤状態の母親のもとに駆けました。
Nさんは、母の遺品を整理するために、ボロボロの住居に入ると、神棚の上に、幼いころのNさんと両親が三人で撮影した写真が飾ってありました。
おそらく母がその写真に手を合わせて暮らしておられたと思われます。
そこでNさんは、万人幸福の栞の以下の箇所をおもいだされました。
「最も大切な、わが命の根元は、両親である。この事に思い至れば、親を尊敬し、大切にし、日夜孝養をつくすのは、親がえらいからではない、強いからではない。世の中にただ1人の私の親であるからである。私の命の根元であり、むしろ私自身の命である親だからである。
ほんとうに、父を敬し、母を愛する、純情の子でなければ、世に残るような大業をなし遂げる事はできない。いや世の常のことでも、親を大切にせぬような子は、何1つ満足にはできない。」