ご依頼いただいた10月の講話のテーマである、「何のために生きるのか」について、今朝、教会で牧師さんにお話しを伺いにいきました。そのご意見をおおいに参考にさせていただき、私なりに以下のように考えました。 「何のために生きるのか」 使命(天命)を知り、それに沿って生きるため。 使命は文字通り、自分の大切な命をいかに使うかという志のこと。 使命を知り、それに向かって完全燃焼する人生を送れたら、いつかこの肉体から魂がさよならするときに心から微笑みながら「良い人生だった。ありがとう。」と言えるのではないでしょうか。 使命は自分や他人が決めることではない。 宇宙を創造された賢い存在の導きに従って使命を知ることになる。 この賢い存在には人格がある。 例えば腕時計には、いつでもどこでも正確な時を伝えるという使命がある、その使命は腕時計自身が決めたことではない。 いつでもどこでも、時を正確に知りたいという賢い人間が腕時計を考え、設計し、創りだした。 このように、全ての人間には使命がある。 その価値は世間一般の物差しでは測れない。 ではどうすれば己の使命を知ることができるのか? いつかこの肉体から魂がさよならするときに心から微笑みながら「良い人生だった。ありがとう。」と言えるためには、他者とのかかわりがとても大切になる。 懸命に誠実に他者とかかわるなかで己の使命が見いだせるのではないであろうか。 今のところこんな感じです。