以下は先日、森裕之立命館大学政策科学部教授の子どもの貧困についての講義を受けた感想です。
⑴ こどもの貧困はその保護者である大人の貧困とほぼ同義である。なぜなら、こども自身は就労せず、保護者に生活を頼る存在だからである。そこで生活困窮者自立支援制度における新しい支援のかたちについて研修を受けた。これは、家計の問題や、家族の問題など、既存の社会保障制度の枠に収まらない問題までも広く対応するという制度である。
⑵ 私自身、議員になり生活困窮者からの相談を受けることがある。そこで強く感じるのは、自己の家計や健康を自分の責任で良い状態にするという習慣が身についていないことが珍しくないということである。生活が困窮して完全に行き詰まる前の段階で計画的に家計をやりくりすることや、口腔崩壊など不可逆的に健康を害する前に健康管理について指導・支援することの重要性を感じる。
⑶ その指導・支援の際には画一的なレディーメイド型サービスでなく、個々人の困窮状態に応じたオーダーメイド型サービスである必要がある。たとえばある生活困窮者は若くして、多くの歯をうしない歯根しかのこっていない、いわゆる口腔崩壊の状態にある。この方に歯磨き指導をしても問題の本質的な解決にならない。この方の幼少期の虐待体験や、親子関係の問題など基本的生活習慣が確立されていない真の理由からアプローチしなければ場当たり的な対応を繰り返すことになり、貧困の連鎖を止めることはできない。
⑷ また私が複数の生活困窮者と交流する中で強く感じることは、申請主義の生活困窮者支援制度は彼らにとって存在していないと言っても過言ではないということである。制度を知らず、または制度を調べ申請する知恵や意欲に乏しい場合が珍しくない。幼少時に虐待された経験を持つ方等は役所に出向き申請手続きをすることは大変な恐怖を抱く場合がある。積極的に生活困窮者を発見しにいくアウトリーチ型訪問支援、いわばおせっかい主義へ制度を進化させていくべきとの森裕之立命館大学政策科学部教授のお話に強く同意した。
⑸ また私は地元のこども食堂のお手伝いをさせていただいている。そこでシングルマザーやそのお子様が食事をされている際のふとした仕草や表情に彼女たちの心の奥に抱える苦悩を感じる機会がある。おいしい食事を食べているときに人は心を開くのである。そこで気づいたDVのトラウマや経済的・精神的課題を行政と連携して取り組む仕組みをつくりたい。こどもの貧困やその背後にある大人の生活困窮問題を官民が協力して、地域全体で支援することができれば、将来の生活保護受給者の増加を抑制することができ長い目で見て財政健全化に資する。そして真に自立し誇り高く生きることができる市民を育てることができると考える。