587回辻立ち

本日も朝晩、東加古川駅周辺で挨拶運動および、辻説法をいたしました。身を切る寒さのなか、連日ご一緒に立ってくださる方々、本当にありがとうございます。また、日中は、高砂の申義堂で論語の素読会がありました。ここは、今から約200年前に、創設された学問所です。松下村塾のように、小規模ではあるものの凛とした雰囲気をのこす、寺小屋です。本日は、まず、参加者のみなさまで、論語を音読したのちに、「子四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。」(写真最後の2行)に関して議論しました。これは「先師は、常に私意、執着、頑固、自我の四つを絶たれた」という意味です。この議論の最中、私は昨秋の国政選挙の準備中、心の中で、朝から晩まで、「動機善なりや、私心なかりしか。」(=動機は善か、自分の名誉欲や金銭欲で動いていないか)と自分に問つづけたことを思いだしていました。するとなんと、最前列の主催者さんが、「京セラの稲盛氏は、第二電電を立ち上げる際に『動機善なりや、私心なかりしか』と自分に問い続けました」という話をされました。この偶然はうれしかったです。完全に、常に私意、執着、頑固、自我の四つを絶つことは難しくても、「公」の心をどれだけ持つことができるかが、賛同者を集め、社会変革を起こすために大切なポイントとなることを改めて確認しました。

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